映画 風立ちぬ を見てしまった。


風立ちぬ いざ生きめやも

“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”

※風がたった。生きようじゃないか

風立ちぬは 堀辰雄の作品だ。実際の体験を元に婚約者が肺結核でなくなるまでを書き綴っており、その独特の音や空気の書き方は見事な文学として後世に残っている。

その後宮崎駿がモデルグラフィックスにおいて漫画連載していたのは、堀越 二郎、ゼロ戦を設計した彼をモデルにし独特の豚とかそういうタッチで飛行機大好き、軍事道具大好き宮崎駿がでている漫画だった。

風立ちぬ 漫画原作をGoogleイメージでみてみると

 
宮崎駿は常にアニメーション映画は子供向けであることといっており、ついにそれを超えた作品を作ったわけだ。こうした矛盾だけではなく戦争反対、原発反対と強い意志を持つ反面、兵器や戦闘機には深い愛情を持つ宮崎駿。この矛盾も込められている。
戦闘機を作りたい、戦争は反対、そうした答えを訴えるものではなく一人の青年がまっすぐに自身の夢を進む様子を描いている。

以下ネタバレ

ほんとうに本当に驚いた。
完全に大人向け。
正直途中、宮崎駿は現代を書きすぎたと思った。
こんなに「今」を描いてしまうとリアルになりすぎるからだ。
作者の空想は描けても、そのサイドストーリーや違う次元を妄想してしまう閲覧者が空想できなくなっちゃうから。ジブリ作品のよさはそこにあったとおもうからね。

だって飛ぶのも豚でない人間だし青年なんだ。
手書きで作りこまれた人間の世界。
それだけでなく音、音響もすべて人間の声を加工しているようだ。関東大震災の地響きは人間の心からの恐怖を感じさせる。その時のアニメーションシーンは本当に歴史に残るんじゃないかとおもう。
おそらく東北地方太平洋沖地震を感じて深く書き綴られているアニメーションなんじゃないだろうか。
その上で走り回る人間。時々ひょうきんでありジブリらしさはたくさんある。
それでいて生身、等身大を伝えてるのが素敵だった。

天才設計者の伝記になるだけではなく、彼の夢の中を得意の表現で実現させるのは流石だ。
ときどき設計者とは、クリエイターとはとまさに宮崎駿の自問自答が響いている。
それはクリエイティブな仕事に関わる人の心に入ってくるだろう。

ヒロインが病の中、そして忙しい主人公のもとにやってくるその心の真意。
戦争の中で作られていく設計者の夢と思い。
誰のために作っていたのだろうか。

ヒロインの死があるという極めてシンプルな映画の問いに多くの人はあっけらかんとしてしまうんだろう。空想の中にある、その受けての空想がほとんどない。
というより空想する余地がないほど2つのストーリーをまぜて宮崎駿の矛盾への答えを出しているからだ。

受け取りとしてその矛盾を空想するだろう。
美しいものと戦争も矛盾。
自分が今やっていることとやりたいことへの矛盾

あぁ 涙をためながらその次へ。生きねば。