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2015/01/01

映画「ゴーン・ガール」で感じる幸福とは


このミステリーは秀作。何が起こり、その理由を追っかけ、突然のネタばらしからさらなるジェットコースター。リアルすぎて口が開いたままだった。

デヴィッド・フィンチャー監督による同名小説(作家:ギリアン・フリン)。今回作家が脚本も担当してる。
デヴィッド・フィンチャーというと現実的な心理描写を多様なカットで作り込む。
強いメッセージを出すわけでもなく社会風刺も強くないのですが、強くストーリーを見せる映画監督の一人だとおもう。
セブン、ファイトクラブ、ベンジャミンバトンなどなど何れを取っても、スクリーンの鬼才といわれることがわかる。
個人的にはスタンリーキューブリックを彷彿させるんだよな。

さて、今回のゴーンガールは現代社会の夫婦、そして社会のなかで作られていく人物イメージ、サイコパスという反社会的な行動心理が書き込まれている。

主人公であるニックダンはバーの経営者。妻エイミー。そして結婚記念日に彼女が失踪という不可解なところから、ダンの目線で回想と現実を混ぜなから進んでいく。エイミーはある計画で彼を追い詰めていく。もともと描いた幸せと違う方向に進んでいったことを恨み、またダンの浮気、離婚の危機を乗り越えるためのシナリオだった。

彼女の恐ろしい計画は、失踪から始まる。
そのリビングは荒れ、血痕が広がる。そしてニックの不自然なアリバイにより次第にメディアも警察も彼を不審に思うのであった。
失踪からメディア露出、彼の人格イメージ作り、警察の推理まですべて作りこむ。そして彼女が殺されたものとして消えていくわけだが、その恐ろしい計画に気がつくダンもそれをさらに受け入れたり対抗したりとする。
念密な計画だが・・・

この先品を見た後に、ミザリーを思い出した。ミザリーは熱狂的な作家ファンによるサスペンスだった。
この作品はホラーのようなサスペンスさはないが、フィンチャーらしく作り込まれたカット割り、隙のなさに引き込まれる。
エイミーという女性は現実的に幸せでありたいという思いがある。
至極当たり前でごく普通に感じることだ。結婚、夫婦生活、子供。朝ごはんを食べ、ご近所づきあいをする。
こんな普通なことなのになぜ?

作り込まれたカットにハラハラする。それはエイミーの難い女だからではない。エイミーが賢くなにが現実的な幸せなのかただただ置き換えているからだけなのだ。ハッピーでもバッドでもないこのエンディング。二時間少しある長編映画だが是非とも劇場で。

http://www.foxmovies-jp.com/gone-girl/


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